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不器用ですが暇つぶしになれば。ちょっと情緒不安定な東大生

進振り(進学選択)の点数にこだわりつづける大学

東大生としゃべるときに話題に困ったら、第二外国語進振りの話さえしておけば、初対面でも何も臆することはない。

 

進振りとは、正しくは進学選択といい、大学2年生の時に、大学3、4年をどの学部学科に進学するか決められるシステムである。1、2年生は全員が教養学部に所属し、学問を幅広く学んでから、それぞれの専門に進むという仕組みになっている。

 

だから、幅広い教養を身に付けられたり、様々な学問に触れてから専攻を選べたり、といったメリットがある一方で、その分、専門を学ぶ期間が短くなるというデメリットがあるとよく言われている。

 

しかし、一番の問題は、進める学部学科が、これまで履修した科目の成績の平均点によって基本的に選別されることにある。人気なところは、要求される成績も高くなるし、定員を下回るようなところは、簡単に進める。要するに、受験と同じ仕組みが働いている。

 

それで大学生が勉強に励むならよいと思う人もいるだろうが、点数が高いことを良いとみなす文化が作られていることの弊害は意外に大きい。受験勉強が終わっても、点数によって序列をつけて、場合によっては持て囃したり見下したりといったことが横行している。画一的な基準を誰しもにあてはめることが本当によいことなのだろうか?平均点が低いといっても、特定の科目では突出した成績かもしれないし、履修科目以外の自主的な勉強を頑張っているのかもしれない。課外活動に熱中するのも、惰眠をむさぼり、遊び呆けるのも、またライフスタイルの一つだろう。

 

所属を尋ねられて、学部や専攻を言えば、「点数が高いところだよね」とか「教養過程のときに頑張ったんだね」と言った言葉が返ってくる様子を何回も見たことがある。点数で人の努力を評価する風土が根付いている。褒められる人がいれば、貶される人もいる。点数が低くても行きやすい学科は知れわたっているから、学科を言うだけで見下しの対象になる。そんなことは本人もわかっているので、「本当は◯◯に行きたかったんだけど勉強サボっちゃって~」と笑いに変えることで予防線を張る。

 

点数がいいことは、地頭がよいこと、努力ができることを表し、価値がある人間であることを知らしめる効果がある。

 

そこで思い出したのが、この記事。

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東大出身者にとって、出会った相手の知能がどれだけのものかということが、非常に重要だからだ。

というのも、彼らは相手の知能の程度によって、接し方を変えようとしているのである。

そこで知能があると判断した者には丁重に接し、そうでないと判断した者にはそれなりに接するのだ。

 

この記事に書いてあることは、東大生同士でも普通に行われている。その時に、進振りの点数が参考にされているのは言うまでもない。頭がいいことはいいこと、頭が悪いことは悪いことなのだ。

 

永遠に上を目指して走り続けることが、そんなに美しくて正しいのだろうか?ゆっくり自分のペースで走ってもいいし、別の方向に行ってもいいし、立ち止まって風景画を描いてもいいし、家に帰ってゲームをしてもいいはずだ。少なくとも他人に強制される筋合いはない。私の価値は私が決める。