MY MINORITY

不器用ですが暇つぶしになれば。ちょっと情緒不安定な東大生

ドラえもんの慰謝料支払機があったらいいのに 差別するなら金をくれ

ドラえもんひみつ道具が一つだけ手に入るとしたら何がいいだろう。どこでもドアやタイムマシンにも憧れるけど、今の私なら「イシャ料しはらい機」がぴったりだ。

 

作中では、のび太ジャイアンに殴られるたびに、慰謝料を受け取れる機械として登場する。慰謝料は、ジャイアンの所持金から支払われ、所持金が尽きると持ち物が自動的に売却されるという仕組みになっている。これを知ったのび太の同級生は、嬉々としてジャイアンに殴られるようになり、結局ジャイアンは無一文になってしまうというお話だ。

 

殴られてお金がもらえるなら、毎日のように降りかかる嫌な体験からもお金をもらうことが出来ればいいのにという思いで、この道具が手に入ればよいのにと言ってみたに過ぎないが、理不尽な出来事に意味が与えられることが何よりも大きな魅力だと思う。

 

私が生きている世界は、私が私であるという理由で、無数の不当な扱いを受けているのに、ほとんどの人が助けてくれない懲罰的な世界だと思っている。私の性別や容姿、雰囲気、考え方、その他たくさんの理由で、ひどいことを言われたり、体を叩かれたり、努力を否定されたりといった仕打ちが、毎日のように繰り返されている、こんな世界が正しいとは全く思えない。こんなに苦しいのに、その苦しみには何の意味もない。苦しんだ分だけ、楽しいことがあるなんて嘘だ。普通にしているだけで苦しい思いをするのだから、苦しみを避けるために、新しい人と出会うのをやめよう、人を信頼するのはやめよう、人生に期待しないでおこう、外に出ないでおこう、というように、どんどん消極的になるだけだ。

 

慰謝料支払い機があれば、嫌なことを言われたけどお金がもらえたということで、その出来事に意味を見出すことが出来る。容姿に対して罵倒されたのなら、その慰謝料でメイクを頑張るなり、整形するなりすればいい。下手な慰めよりも、物を言うのはお金だ。だいたい、なぜ被害者の私が、時間も心の余裕も奪われないといけないのだろう。加害者が、自分の発した言葉について、何時間も何日も何か月も悔やみ続けなければ割に合わないのに、どうせ実態は覚えてすらいないのがオチなんじゃないか。彼ら彼女らは、きっと思ったことを特に何も考えずに口に出しているだけだ。そして、何の罰も受けずに、のびのびと毎日を過ごしている。きっと、安心して帰れる場所も支えてくれる友達もいるに違いない。

 

嫌な経験を糧にして、その分人に優しくなれるといった発想の転換は、私がとる選択肢の一つであって、他の人から勧められて同意するものではない。子どもを殺された親に、同じことを言えるのだろうか。加害者に酷い目に合ってほしい、幸せな人たちが憎いと恨み言を述べる権利は、誰にも奪えない。嫌な思いをすればするほど、普通に生きていられる人たちが憎く思えて、他人に対する思いやりを失ってしまう。他人の幸福を素直に喜べなくなっていく。こんな世界なんてめちゃくちゃになってしまえばいい。みんな実は苦労しているとか、たまたま上手くいかなかっただけとか、それも私が考えに考えたうちにとりうる結論の一つであって、他の人から同意を強要されるものではない。最愛の人を殺された人に同じ言葉をかけられるだろうか。殺人と結びつけるのは極端だと言われるかもしれないけど、生きていく上での基本的な信頼感を破壊され、憎悪と悲嘆に身を持っていかれそうになっているのだから、いくら否定されても、その比喩を使い続けようと思う。なぜそんな目に遭うのか理解できず、その出来事に意味を与えることが出来ないという点においても、この比喩はぴったり当てはまる。

 

自分の境遇の意味も分からないし、意味を考える気にもなれず、ドラえもんが意味を与えてくれるわけでもない。

 

私が言いたいのは、私は何も悪くなくて、相手に100%に責任があり、苦しみを負うとすれば全て加害者の方だ、ということだ。誰がなんと言おうと、私はそう思う。だとすれば、「他人」のせいで「私」が苦しむなんて馬鹿らしいし、何一つ萎縮する必要もなくなってくる。ましてや、自分の命を大嫌いな「他人」のために捧げるわけにはいかない。お金をもらいたいはずなのに、私の幸福や命を支払うなんて、割に合わないもいいところだ。思い通りにならないことばかりでうんざりしているから、自分の行き先ぐらいは自分で決めたい。そんな絶望を明日に繋いでいく。