MY MINORITY

不器用ですが暇つぶしになれば。ちょっと情緒不安定な東大生

岡田尊司『境界性パーソナリティー障害』を読んで

 岡田尊司著『境界性パーソナリティー障害』の序文には、以下のように記されています。

境界性パーソナリティー障害は、まさに、人が生きるとは何か、何によってそれが可能になるのかという、人間にとってのもっとも根本的な問題を突き付けている

 今回の記事では、この本を題材にして、「人間にとってのもっとも根本的な問題」に迫ってみたいと思います。

 

 と思って、記事を完成させたのですが、よくよく考えると著作権を思いっきり侵害していることに気づいたので、読んで思ったことを述べるにとどめます。

 

 まず、境界性パーソナリティー障害という言葉について。病名である以上、病気の説明のような内容を想定していましたが、読んでみると一般的にも当てはまるようなことばかりだなと感じました。

 

 便宜的に、境界性パーソナリティー障害は、いわば特徴的な思考パターンを持っている人と定義したとします。しかし、その思考パターンは、病気であるか否かで完全に区別できるものではないですし、経験によって考え方が変わっていくのは人間である以上、誰にでも共通しています。

 

 逆説的ですが、その意味では「病気」ではなく「性格」としての要素があるのかもしれません。医学的な正しさはさておき、「性格」は変わっていくものであり、誰もが「境界性パーソナリティー障害」のような性格になりうる、もしくは既になっていると考えれば、自己理解の書物としても興味深く読めると思います。

 

 その意味で、見捨てられることに対する不安と愛情への飢餓感というのは身に刺さる言葉でした。社会的には恵まれている家庭環境でおこがましいことを言ってはいけないという意識があり、あまり考えないようにしていましたが、やはり愛情という面では未だに引きずっているところがあります。保護者への愛情を友人や恋愛相手に求めているわけではありませんが、根底に存在する自己否定感から愛情を渇望してしまう心理が完全に説明されており、心が見透かされているようでした。

 

 愛情を求めているというと、聞こえはよいですが、実態は周囲の人々を振り回し、自分を深く傷つけているだけだということを自覚しました。自分の存在を認めてくれる人との出会いは確かに幸福ですが、その愛情が100%本物で、未来永劫に続くとは誰も約束できないわけです。どこまでも、不安はなくなりませんし、親しくなったからこそ裏切られることへの恐怖が増していきます。

 

 その不安を解消するために、相手の仕草や言動から愛情が揺るがない証拠を見出そうとするものの、逆に、些細なことが見捨てられる予兆のように思われて、捨てられないように何としてでもしがみつくか、傷つく前に自分から切り捨てるかという行動も、もはやいつものパターンになっています。このあたりの思考回路は、以前からなんとなく考えていましたが、分かりやすく言語化されていて、改めて気づくことが出来ました。

 

 以前、自分と関係を持ちうる人全員の細かな仕草や言葉の言い回し一つひとつから、感情や自分に対する敵意を推測しているという話を友人にしたところ、片思い中の恋人にしかしないようなことを全員に対してやってると呆れられました。その例えが適切かは分かりませんが、心情的には近い気がします。

 

 他には、感情のブレーキが外れたような気分の急変動や被害妄想や幻聴について書かれていたのですが、自分の状況と面白いぐらいに当てはまっていて勉強になりました。双極性障害という診断を受けているのですが、同じ気分が数日も持続することはないし、なにより出来事や他人の発言がトリガーとなって気分が急変動し、追い詰められた状況の時には被害妄想が激しくなり、幻聴さえ聞こえるという点では、微妙に診断基準とずれているので、この本の説明の方がしっくりきます。厳密な区分は難しいらしいので、一概に誤診だとは言えませんが。

 

 この本を読んだだけで、満足してしまったのですが、今後に生かすことを一つあげるとするならば、完璧な理想の親代わりを見つけようとしないことですね。今までは、好意を持ってくれた一人を理想化して、ひたすらその人に従属的になり、ふとしたことから裏切られたを感じ、距離を置き、また新しい人を見つけるという繰り返しに陥っていました。この負のスパイラルにピリオドを打ち、自分は自分で、他人に認めてもらえなくても価値がある存在であることを認識し、また依存先を分散して、他にも支えてくれる人がいることを実感する心の余裕を身につけたいなと思います。

 

これだけのことに気づけたので、本の値段分は学べたと信じたいですね。

勉強や研究に必要な本以外も読むことが大事だと感じさせてくれた本でした。