MY MINORITY

不器用ですが暇つぶしになれば。ちょっと情緒不安定な東大生

ブログ開設半年を迎えて

 昨年(2017年)の12月3日に、ブログを開設してから、昨日でちょうど半年を迎えた。この記事は、86記事目になる。途中から更新する気力がなくなってきたため、最初の3か月以降は、投稿ペースが大幅に落ちたものの、気づいたら半年も続けていた。

 

 ブログを始めた経緯や最初期にPV数を気にしていたことは、既に他の記事で書いたので、今回は、毎月の記事から当時の心境を振り返ってみる。

 

2017年12月

 ブログのタイトル通り、当初はマイノリティーであることを題材にしていた。これまでの自分の経験から感じていたことを文字に起こすことで、悩んだり苦しんだりしている人の心を動かしたいと思っていた。おこがましい願いだったのかもしれないが、その原点は今も変わっていない。

 

 ただ、いざブログを始めてみると、書きたいことがすぐに尽きてしまった。自分と一切かかわりのない人に向かって、どんな言葉を綴ればよいのか分からなかったし、インターネットの世界には、溢れかえるほどの文章があるのだから、自分でしか書けないことなんて存在しないと思い、虚しくなってきた。ほとんど読んでいる人もいなかったから、途中から更新をやめてしまった。

 

2018年1月

 新しい年を迎えても、ブログを再開する気にはならなかった。話し相手がほしいと思いながら、持て余した時間は、ひたすら読書に耽っていた。

 

 大きな転機となったのが、1月10日だった。自分の寄稿した記事が、外部のサイトで取り上げられたことをきっかけに、PV数が急上昇した。その時の心境をよく表している文を引用してみる。

 

自分の書いた文章を誰かが読んでくれる。意味はよく分からないけど、はてなスターを付けてくれる人もいる。読んだ人がどんな気持ちになったかはしらない。けれど、少なくない人が共感してくれたのだとすれば、書いた意味も生きてきた意味も全てひっくるめて肯定してもらえているような気分になる。

 

 これが契機となって、過去の憂鬱な経験を隠さずに表現できるようになった。自分の弱い部分をさらけ出すことは、かっこよくもないし誇れるようなことでもないが、今も尾を引いているようなネガティブな出来事を、文章の形で昇華し、悪い面もあればよい面もあると捉え返せるようになった。

 

 2018年2月

 この月に、合計投稿数が50記事になる。過去の負のエピソードも底を尽きつつあったので、内面や人間関係について思索を深め、そこで感じたことを記事にするようになった。ブログを書くために、記事を考えていた時期で、手段と目的が入れ替わっていたが、自分の人間性と向き合えた貴重な時間でもあった。

 

 人一倍悔しがったり、何もしていないくせに人を見下していたり、被害者意識にとらわれていたり、といった目を背けがちだった一面に気づくことが出来た。だからこそ、こうした感性が自分のアイデンティティで、生きる原動力にもなっているのだから、そのままの自分でも悪くないと受け入れられるようになってきた。

 

2018年3月

 不安定な気持ちが少し落ち着いたからか、気持ちを文章にせずにはいられない衝動に駆られることが少なくなった。ちゃんと食事をとり、ほどよく人と話し、身の回りのことをきちんとこなす平和な日々を繰り返し、ささやかながら楽しかったことを綴った。念願の京都と奈良観光が実現したことも、幸せな思い出として残っている。

 

2018年4月

 心機一転、能力の限界まで自分を試してみたくなり、成長を徹底的に目指すようになった。連日の睡眠不足で疲れてしまい、3月の安定が嘘のように、希死念慮に駆られていた。丸2日間の休息の末に、身の丈に合わない目標は諦めることにした。その時に、他人のために自分を犠牲にする生き方は向いていないと、つくづく実感した。

 

 新たな試みとして、ジェンダーについての記事も書くようになった。もともと関心があったし、差別をする人にも、自らの正義を疑わずに差別を糾弾する人々にも、違和感を覚えていたので、自分の考えを発表してみたくなったからだ。実感としては、他の記事と比べるとあまり読まれていなさそうだが、評価してくれる人もいるので、今後も続けたいと思う。

 

2018年5月

 月間では最少となる5記事しか投稿しなかったが、どの記事も深く印象に残っている。なにかと忙しく時間がとれなかった関係で、どうしても書かずにはいられないことのみを文章にした。二日酔いで苦しみ、Facebookをみて憂鬱な気持ちになり、五月祭に行こうとして途中で帰るなど、みじめな生活に自己憐憫の情に浸ることもあるが、それも含めて私という人間なんだと感じている。

 

 また、5月は「境界性パーソナリティー障害」という言葉に出会ったことも転機になった。関連する文献を読みおえたので、5月後半の出来事と共に、取り上げていこうと考えている。

 

 人間の成長を一本道で表すとしたら、この半年は前進と後退を繰り返しただけで、元いた場所からほとんど変わらない場所にいる気がする。年相応に成熟しているかと言われれば、自信を持って答えることは出来ない。けれども、経験を積んだことは間違いない。どれほどの時間やお金、つながりを失っても、経験だけは減ることがない。私の経験と他人の経験は、異なる人間である以上、比較のしようもない。

 

 この半年で、成長したかどうかは分からない。それでも、たくさんの経験を積み、私という人間をもっと深く理解することが出来た。半年後の私は、なにを考え、どんなことを感じているのだろうか。その答えを知るために、少し辛抱して生きてみようかなと思う。