MY MINORITY

不器用ですが暇つぶしになれば。ちょっと情緒不安定な東大生

東京レインボープライド2018のパレードに参加した感想 Beyond the Border

 セクシャルマイノリティーのお祭り、東京レインボープライド。前回は、フェスタの様子を取り上げました。今回は、メインイベントともいえるパレードの模様を感想も交えながらレポートします。 

 

 「パレード」 と字面だけ眺めると、どんなものか想像しにくいですが、単純にいえば、楽しいデモ行進みたいなものです。LGBTの権利の保証を求める政治的な主張はもちろん存在しますが、他の政治的なデモとは雰囲気が全く違うと感じました。このパレードは、LGBTとAlly(LGBTに擁護的な人たち)の存在を目に見える形で知らせて、生きやすい社会になるようかけごえや音楽と共に、練り歩くといった催しです。文字だけではイメージしにくいので、以下のURLより画像もご参照ください。 

https://www.huffingtonpost.jp/2018/05/06/rainbow-pride-parade-2018_a_23428042/ 

 

 ここからは、パレードの一参加者として感じたことを振り返ります。パレードの隊列は、20を超える主要な団体から構成されており、私はアムネスティ・インターナショナル日本のフロート(山車)に参加しました。 とはいっても、アムネスティーが決めた統一の規則は存在せず、どんな主張をするかも参加者に委ねられています。もちろん、アムネスティーからプラカードや旗 を借りることもできます。私は、ドン・キホーテのブースで買った自前のレインボーフラッグを持参して、出発前の隊列に加わりました。

 

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 そこで、偶然にも、サークルの友人に出会いました。何万人という人が来場し、パレードだけでも7000人が参加する場で、知り合いを見つけられるなんて、本当に思いがけないことでした。この日は、サークルのメンバー以外でもたくさんの知り合いと期せずして、再会を果たすことができました。そう考えると、いつも孤独に感じるのは、友達といえる人は周りにたくさんいるのに、自分が殻にこもろうとしたり、信じられなくなったりしているだけなのかもしれないなと思いました。 

 

 さて、パレードの話に戻ります。いよいよ、出発の時刻を迎えます。隊列は、代々木公園を出発し、公園通りを経由して、渋谷のマルイの前を通り、原宿方面から再び代々木公園に戻ってきます。出発してすぐに、沿道にたくさんの人がいることに気づきました。ルートに沿って、途切れることなくパレードを見物、応援している人であふれていました。みな、手を振ってくれたり、レインボーフラッグを持って「ハッピープライド」おいうかけごえをかけてくれます。パレードの参加者も笑顔で応え、ハイタッチをしたり、大いに盛りあがっていました。 

 

 そして、ここでも偶然の出会いに恵まれました。沿道の中に、どこかで見たことがあるような顔があありました。その人は、数日前い別のイベントで、ほんの少しだけ話したことがある、名前も知らない方でした。立ち止まるわけにもいかないので、会話を交わすことは出来ませんでしたが、視線があって、お互い驚いていた様子だったので、気持ちは通じたはずです。また、どこかで出会えたらと願うばかりです。 

 

楽しい時間は、あっという間に過ぎていき、気づけば、パレードの列は、ゴールである代々木公園のすぐ近くまで迫っていました。歓声はひと際大きくなり、歩道橋の上まで人でごった返していました。歩道橋をくぐったところで、ふと昔のことを思い出しました。そこには、私が、初めてパレードを見た場所がありました。 

 

 東京レインボープライドに初めて参加したときは、お祭りの熱に浮かされながらも、私は「見世物なんかじゃない」という反感と惨めさが混ざった気持ちを強く感じていました。今考えると、服装が奇抜だったし、髪型もちぐはぐだったので、視線が向けられるのは仕方がなかったとは思います。

 

 しかし、当時は、LGBTが自分らしく生きることが目的の場所でさえ、好奇の視線を向けられている悔しさを鮮明に覚えています。結局、隠すこと、すなわち自分の気持ちを押し殺すことが、社会にとっても自分にとってもいいことなのかなという諦めにも似た感情を抱いていました。けれども、せっかくなので、パレードを見てから帰ろうと、公園近くの歩道から様子を眺めてることにしました。思い思いの服装やメッセージのこもったプラカードをみるたび、自分の思いを堂々と表現する姿に、憧れと同時に羨ましさを感じていました。 

 

 次々と進んでいくパレードの隊列に向かって、なんとなく手を振っていると、隊列の歩道側を歩いている人から声をかけられました。それは、「かわいいね」という一言でした。十中八九お世辞であることは理解していましたが、その言葉は、確かに私の心に刺さりました。それは、存在を認める言葉だったからです。あなたはおかしくない。自分らしく生きることは何も間違っていない。そんなメッセージを凝縮した言葉のように感じられました。  

 

 あれから2年が経ち、今度は、私が、沿道から歓声を浴びながら、レインボーフラッグを持ちながら、大通りを行進する立場になりました。まだ誰もが受け入れてくれる社会にはなっていませんし、少なからず侮蔑のまなざしも含まれているでしょう。それでも、そんな目線を気にして隠れて生きることはしたくない、堂々と歩こう。そんな決意がありました。少しは変われたのかもしれません。 

 

 来年も参加するつもりです。

 今度は、私が誰かの存在を肯定してあげられるように。  f:id:mimosapudicaseeds:20180511160320j:plain