MY MINORITY

不器用ですが暇つぶしになれば。ちょっと情緒不安定な東大生

やりがい搾取から主体性を取り戻すまで②

 前回の記事からリアルタイムでは3か月が過ぎ、現在のやりがい搾取に対する考えと主体性を取り戻すまでの経過を書いてみる。

 

 やりがい搾取という言葉を分解すると、誰かによって自分が「やらされている」と感じ、その奉仕の程度が大きい状況という定義になる。では、なぜその状況に陥るかといえば、他に出来る人がいないことが最大の原因のように思われる。出来ないと一口に言っても、能力的に出来ないこともあれば、時間を割ける人がいない時もあるだろう。こうした状態は、どんな組織でも多かれ少なかれあることだが、その負担が大きすぎたり、モチベーションを失ったりすると、搾取されているという感覚が強くなっていく。

 

 私の場合は、他に出来る人がいないということを強く感じていた。傲慢な考えだとも思うが、実際に抜けてしまえば、組織が回らなくなっていたのは間違いなかったはずだ。だから、その組織のために半ば進んで奉仕していた。もちろん、サークルなので報酬もない。その結果、成果を出すことを自分も周囲も当然視するようになり、搾取されていると思うに至ったのは、前回の記事に書いた通りだ。

 

 ただ、本当にそれだけだったのかという気持ちもある。与えられた課題をこなすこと自体にはやりがいが確実に存在したし、少なくとも2番目のサークルでは、活動それ自体が嫌いになってしまったわけではなかった。なにより、「やりがい搾取」の状態に陥ったのは、自分の意思によるところが大きい。誰かから無理やりに強制されて、何かをやらされることは一度たりともなかったのだから。

 

 本当の問題は、主体性を失って、自分にとって何のメリットがあるのか、分からなくなったことにある。最初は、自分の意思決定に基づく行動であったものの、次第にやらなければならないことが増えるにつれ、目の前にある問題に対処することで精一杯になっていた。そうなると、当初の志を忘れてしまい、何のためにやっているのかという目的をはっきりさせないまま、ただ目先の与えられた課題をこなし続けるだけの日々に変貌してしまった。

 

 他人に都合よく「使われている」だけなのは、自分が選び取った結果でもある。このことに気づいた時、自分の人生は自分で決めるという軸が定まった。本当にやりたいこと、目指しているところを見据えて、実現するためには何をするのかを考えた上で、行動を起こしていく。これこそが、私なりの主体性を取り戻し方だ。

 

 いったん立ち止まって、何をしたいと考えているのか、大きく言えば、人生で何をしたいと考えてみることにした。まだ目標がはっきりしないところは、自分が楽しい、これなら続けたいと思うことを書きだしてみた。その中で、優先順位をつけ、一番やりたいこと、やるべきことは何か、全てを手に入れないなら何を切り捨てられるのかという基準を決めた。重要ではないと判断したものについては、他人に任せられるところは任せようとしているところだ。そもそも、一人に負担が集中している組織は、運営がうまくいっていない結果であり、一人で何とかしようとするのは、少しうぬぼれすぎている気もする。

 

 こうした考えに至るまでには、思索にふけるだけではなく、他人の言葉や本から学んだことが多い。その中でも、自己啓発の古典として知られる『7つの習慣』を大いに参考にした。次回の記事では、『7つの習慣』のマンガ版の中から、主体性と優先順位について書かれた章をご紹介したいと思う。