MY MINORITY

不器用ですが暇つぶしになれば。ちょっと情緒不安定な東大生

やりがい搾取から主体性を取り戻すまで①

 3か月前に「サークルのやりがい搾取」という題で、記事を書いたものの、愚痴っぽくなったので公開していなかった。今、この記事を読み返してみると、なんとも他責的で情けなくなってくる。逆に言えば、この3か月で物事の捉え方が変わり、過去の自分を俯瞰して見られるようになるほど成長したのかもしれない。

 

 今回は、3か月前の文章を公開し、次回の記事でどのように捉え方が変わったのかを書いてみようと思う。以下は、当時に書いたそのままの文章。

 

 

 自分がいなければ回らない組織は存在意義を与えてくれるし、やりがいもある。だけれど、それが常態化して本人のキャパシティーを越えてしまったらどうなるだろう。この前まで、やりがいの奴隷となって、ひたすら組織のために尽くすことが求められていた。仕事ではなく大学のサークルの話だが、学ぶことも多かったので振り返ってみる。

 

 サークルには金銭的な報酬が存在しない。その代わり、楽しさやコミュニティーを与えてくれる。その意味では、根本から「やりがい搾取」に陥りやすい構造になっているといえる。サークルが存続していくためには、サークルのメンバーが様々なタスクを分担していく必要がある。自分だけがサボることは周囲からの批判の対象となるし、自分ひとりのせいで多くの人に迷惑をかけてしまうことになるので、途中で投げ出すことは許されない。何らかの役職についていれば、なおさらだ。それでも、ほとんどの人が投げ出さないのは、その関わりの中で楽しみや成長を見出せるからだと思う。そのことは決して当たり前ではなく、それが出来ない人も生まれざるを得ない構造がある。

 

 一つめのサークルは、外部の人に向けてパフォーマンスを行う団体だった。定期的に開催されるイベントでお客さんに楽しんでもらうことがサークルの目的である。だが、あまりにも準備することが多く、自分の能力の低さに嫌気が差し、挫折してしまった。人間関係がうまくいかなかったこともあるが、一番の失敗はやりがいが見いだせなかったことだ。何のために準備しているのか、突き詰めればお客さんを喜ばせたところで自分に何のリターンがあるのかと思った。他のメンバーは、準備をすること自体に楽しみを感じたり、自分の能力を他人の前で表現できることにやりがいを感じていたのだろう。私の場合は、確かに自分がいなければイベントが成り立たないということには、やりがいは確かに存在した。しかし、それは重荷でしかなく、やめたいのにやめられない状況に陥っていた。やりがいは、もはや報酬ではなく呪縛でしかなかったのだ。

 

 紆余曲折の末、このサークルは脱退し、別のサークルに加入した。二つ目のサークルでは、自分の適性と非常に合っており、能力を最大限生かせる場所だった。サークルのおかげで楽しさを感じられていたので、サークルに恩返しがしたいと思って、責任の重大な役職に就くことにした。周りの人も私を慕ってくれたので、能力も時間も投資して共によりよいものを作ろうと熱中した。あまりにも負担が集中していることを心配してくれる人もいたが、自分がいなければ成り立たないという状況が心地よかった。常に存在意義を確認でき、承認欲求も満たされ続けた。だが、3か月が過ぎたころ、段々と負担に感じるようになってきた。サークルのための奉仕が常態化しすぎて、求められるハードルが上がってきたのだ。こんなにサークルのために尽くしているのだから、感謝されるだろうという思い込みが徐々に裏切られることになる。

 

 次から次へとタスクが舞い込む一方で、感謝が少なくなり、批判が増えてきた。私の傲慢さが露呈していたのかもしれないが、あまりサークルのために貢献していない人に注文をつけられることに腹が立った。改善するためのプロセスだと分かっていても、こんなに努力しているのに、何も努力していない人になぜ批判されなければならないのか、傍観者である君たちにそんな資格はないんだとさえ、思うようになった。努力が評価されることにやりがいを感じていただけに、やりがいを見失ってしまい、いつしかサークルのために尽くすことが馬鹿らしくなっていた。そこで初めて、やりがい搾取の構造に気づいた。私はサークルのために必要なことを行い、周囲の人は報酬に感謝の言葉を述べることで、運営が成り立っていたのだ。そこまでなら健全な関係性だったが、私の留まることを知らない承認欲求と周囲の期待が相まって、持続不可能なレベルにまで達し、ついに構造は破綻寸前に陥ってしまった。ここまでくれば、後の祭りだ。被害妄想のジェットコースターに突入し、周りの人から都合よく利用されているだけだと思い込み、次々と期待を裏切った。

 

 やりがいは、人生に意味を与えてくれる。やりがいがない仕事は、きっと苦痛だろう。だが、やりがいに依存すると自分の首を絞めるはめになることを学んだ。サークルというコミュニティーに苦手意識があり、どうすればよいのかは未だに分かっていないが、自分も周囲も楽しめており、その関係が持続可能であるというのは楽しく過ごすには必須なのだろう。やりがいは万能薬ではない。この言葉を肝に銘じておくこととする。