MY MINORITY

不器用ですが暇つぶしになれば。ちょっと情緒不安定な東大生

睡眠不足と希死念慮

 ここ2週間ほど希死念慮に苛まれていた。もともとネガティブな面はあったとはいえ、今ここで事故に巻き込まれたら楽になれるだろうかなんて考えながら、寸前のところでなんとか思いとどまった。

 

 そんな憂鬱な気持ちを抱えながら、勉強に課外活動にと熱心に励んでいた。授業もたくさんとり、空き時間には、宿題はもちろんのこと、バイトの研修、英語の勉強、Webサイト作り、サークル、将来につながる活動など、これまで暇を持て余していたのが信じられないほど精力的に動いた。どれも自分の生活や能力をよくするためのもので、それ自体に苦痛は感じていなかった。しかも、体調を崩さぬように、食事を抜かすことはしなかったし、睡眠時間も6時間は確保するようにした。

 

 何をどの順番でやるべきかを常に考えながら、昨日から今日、そして明日の自分へと成長し続けることは、漠然と生きていた私に活力を与えてくれ、一種の陶酔感すら感じていた。その一方で、頭痛や吐き気といった身体的な不調に襲われるようになった。が、少し体調が悪いことは、私にとっては日常茶飯事であり、たいして気にかけようともしなかった。それよりも、もっと成長しなければならないという観念にとらわれていて、それどころではなかった。6時間という睡眠時間は、一般的にみれば少なくはないはずだし、休日に寝だめをすれば、なんとかなるという根拠のない確信があった。

 

 その休日もやることがあり、早起きをしなければならなかったので、4月1日から走り続けてまともに休めたのは、大学の創立記念日である4月12日だった。それまで身体的な不調はひどくなる一方で、精神的にも追い詰められるようになっていた。それは、単に、やることがたくさんあるというだけではなくて、生きていることに価値が感じられなくなったり、将来を悲観したりといった別のネガティブな感情によっても引き起こされたものだ。

 

 待望の休みに12時間も眠り続けて、この日は出来るだけ他のことに手を付けず、だらだらと過ごすことにした。すると、体も心も軽くなり、前日までの不調が嘘のように、元気を取り戻すことが出来た。眠ったからといって、やるべきことが減ったり、将来の見通しがよくなったりするわけではない。けれど、だからといって今すぐ死ぬ必要はどこにもないし、その時が来てから悩めばいいだけじゃないかと思えるようになった。

 

 これは、あくまで一体験談に過ぎず、全ての人に適用できるわけではない。ただ、メンタルヘルスの問題を考えるにあたって、身体的・物理的な疲労が関わっている一例として参考にできるのではないかと思う。

 

 睡眠不足と憂鬱感について調べてみると、このようなツイートをみかけた。

 この方は医療関係者ではなく、そんなに甘くないという批判も寄せられてはいるが、メンタルに対するフィジカルなアプローチの提示は、一定の意義があると感じた。眠ることと食べることが可能ならば、一度その方法を試してみて、それでもうまくいかなければ別の策を考えればいい。

 

 大学の自殺予防のリーフレットにも似たようなことが書いてあった。そこには、「睡眠不足が続くと危険!一日でも眠らないと参ってしまうこともある」と記載されている。大学という公的な機関が配布しているものなので、何らかの裏付けがあってのことだろう。

 

 私の話に戻ると、睡眠時間6時間というのは十分ではなかったのだろう。普段、毎日8時間は眠っているし、休日は10時間近く眠ることも多々あることを考えると、睡眠不足になっていたのかもしれない。時間を惜しんで睡眠時間を削った結果、不調に陥って、効率が落ちれば本末転倒だ。いつでも十分な睡眠時間を確保できるわけではないが、このことは肝に銘じておこうと思う。疲れた時には、ご飯を食べて、しっかり眠る。難しいことは、それから考えればいいだけの話だ。