MY MINORITY

不器用ですが暇つぶしになれば。ちょっと情緒不安定な東大生

思えば受験勉強も楽しかった

     合格しなければいけないという強迫観念、周りが敵にみえた被害妄想の中で、迎えた大学受験は辛いこともあった。けれど、高校の時の思い出を振り返ると、楽しく勉強していた光景が浮かんでくる。


 勉強は、誰かに認められたいという果てのない欲望に突き動かされたものだったが、学校の先生から一目置かれ、同級生からも勉強を教えてほしいと頼られて、悪い気分になるはずもなかった。誇れる長所が一つ出来て、毎回のテストや模試が成功体験として積み重ねっていった。ちょっとした言葉も、勉強が出来るだけに、真剣に聞いてもらえた。周りの人が自分の存在を認め、誰にも無視されない環境は心地よかった。


 それに、受験勉強は孤独ではなかった。一緒に勉強に付き合ってくれた友だちや、勉強を教えてほしいと言われて、放課後、毎日のように1対1で勉強した友だちもいた。志望校は違うけれども、合格したいという気持ちは同じだった。失礼ながら、もともと私たちの学力は、志望校のレベルに届いていなかったし、模試の判定も芳しくなかった。だから、切磋琢磨する優等生同士のライバルというわけではなかったし、教師から少し嫌味を言われることもあった。それでも、私はこの2人の友人に救われていた。成績が学年最下位レベルの頃の私を知っているからこそ、現在に至るまでの努力を評価し、東大合格という目標も本心から応援し、合格を信じてくれているように感じていた。

 

     信じるというのは、根拠もないし、無責任なものかもしれない。けれど、私のことを何も知らないくせに、テストや模試の成績だけをみて、志望校をどうすべきか評論してくる先生たちよりも、同じ時間を過ごした友だちから、合格できるはずと背中を押してくれたことで、自信が持てた。むしろ、根拠がないからこそ、本当に信じてくれているのだと感じられた。


 それぞれ別の大学に進んだ今でも、交友は続いている。ちょうどこの3月にも、会うことになっており、受験勉強の時のことを思い出した。学校以外の世界を知らず、親や教師に否定される恐怖に怯え、勉強以外に自分の存在価値を見出すことが出来なかった高校時代は、大学入学後も夢にみるぐらい不安でいっぱいだった。その一方で、その不安を上回るぐらいの楽しさも味合わせてくれた。生きている以上、嫌なことがあるのは仕方がないから、幸せな記憶をずっと覚えていたい。過去が嫌なことばかりでなかったとしたら、未来も嫌なことばかりではないのかもしれない。とりあえず今は、旧友と昔話に花を咲かせたい気持ちでいっぱいだ。