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不器用ですが暇つぶしになれば。ちょっと情緒不安定な東大生

双極性障害2型と診断されるまで~後編~

 双極性障害2型と診断されるまでのお話です。今回は、後編です。ついに診断名が確定します。中編はこちらから。

 

7.入院の打診

 気分も高揚し、エネルギッシュな日々を過ごしていた勢いで、サークルの重職に就き、イベントの運営の責任者になった。やりがいもあるし、当時は頑張ろうという気概に満ちていた。が、始めてみると、作業量も多く、人間関係にも気を遣わないとならず、重荷に感じるようになった。しかし、自分からやり始めたことだから投げ出すわけにもいかない。なんとかやるべきことを全うするよう努めていたものの、被害妄想が劇的に悪化し、文字通り世界中が敵のように感じられた。それに応じて、体調も悪くなり、電車に乗るだけでふらふらになるので、ひきこもりがちになっていた。生きているだけで迷惑をかけているという感覚も強く、死にたいけれど死ねばもっと迷惑をかけてしまうことが一番の悩みだった。

 

 医師は、自主的に入院するよう勧めてきた。死ねない環境に身を置いて、自殺を予防しようという意図だったと思う。けれども、自分の仕事を放棄したくなかったので、生きることを約束した上で、入院は免れた。やるべきことも周りの人に分担してもらい、何とかやり過ごした。ちなみに、このときからリーマスという薬を処方された。リーマスといえば、双極性障害に用いられる薬だ。気分変動が顕著に表れていたので処方されたのだろう。

 

8.再び回復?

 なんとかイベントも無事に終わり、やることが無くなると、再びやる気がわいて、アクティブになった。憂鬱感もなくなったので、薬を自主判断でやめた。ラーメンなどいろんなものを食べ歩き、服とカバンを新調した。新しい生活が始まるようで、眠る時間さえ惜しく感じられた。毎日、20㎞ほど歩き、むさぼるように本を読んだ。ついこの間まで、入院を打診されていたことなど信じられないぐらい、元気になり、完全に精神状態が回復したと思った。自分の書いた文章を読んでもらいたいと思って、ブログも始めた。

 

 ただ、元気なあまり、トラブルも増えた。友人と喧嘩になり、次々と対立を引き起こした。大学の授業では、相手の学生が授業に来なくなるほどに質問を浴びせ、教員にも議論を吹っかけて、論争になった。それでも、自分が間違っていると思わなかったし、正しいことをしているという絶対的な確信があった。

 

9.診断

 これが軽躁状態の証拠とされ、双極性障害2型と診断されることになった。もともと、リーマスの服用の時点で気分変動がみられていたところで、薬をやめて軽躁状態に陥ったことが診断を決定的にしたのだろう。今は、デパケン・ラミクタール・ドグマチール・クエチアピン・ルーランを服用している。それなりに楽しいことも悲しいこともあるけれど、これまでよりは気分は安定している。双極性障害について調べても、2型に関する情報は少なく、今の診断名が本当に妥当なのかは分からない。けれども、何か参考になればと思って、経緯を書いてみた。

 

 今は、薬を毎日欠かさずに飲んでいる。そんなに楽しいこともないけれど、辛いこともない。本を読んだり、文章を書いたり、ごくたまに誰かとご飯を食べたり、そんな些細な日常を過ごしている。いつになれば、憂鬱な状態から解放されるのだろうと不安で仕方がなかった数年間だが、ようやく希望の兆しが見え始めてきた。

 

 第3回にわけてお送りしてきましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。精神科や薬のことについては、また書きたいと思います。それでは。