MY MINORITY

不器用ですが暇つぶしになれば。ちょっと情緒不安定な東大生

簡単なことから始める

 いきなり難しいことは出来ない。こんな当たり前のことが、時々分からなくなる。ついつい、自分を飾りたくなり、背伸びしてしまう。

 

 このことは、勉強でよく感じる。私は最近、仏教思想に興味があって、勉強を始めた。勉強といっても、授業で教えてくれるわけではないので、本を借りてきて読むという自主勉強だ。日本史も倫理も詳しくなく、空海とか親鸞といえば、名前だけは知っているという程度でしかない。でも、勉強して思想を理解すれば、いずれブログで紹介できるとやる気だけはあったので、早速、仏教の専門書を借りてきた。

 

 が、これを読んでも全く意味が分からなかった。言葉も難しいし、抽象的で内容が分からず、なにより楽しくなかった。これでは、どれだけ時間をかけても分からない。そういう専門書はすでに知識のある学生や研究者向けに書かれているのだから、当たり前といえば当たり前だ。

 

 今度は、児童書やヤングアダルト(十代)向けの本を借りてみた。こちらは、平易な文体で読みやすく、前提知識を身に着けるには適していた。しいて、デメリットをあげるならば、読んでいるところを見られるのが気恥しいぐらいだ。でも、そこまでしないと分からないのだから、仕方がない。そのうち、満足できなくなって、易しめの新書を読むようになった。

 

 英語の勉強でもそうだ。私は英文法に不安があって、高校レベルの問題集からやり直している。ゆくゆくは、外国人と専門的な会話が出来るぐらいまで上手くなりたいと思っているし、東大入試を突破したという矜持もある。が、いきなり難しい教材に手を出しても理解できないだけだ。それに、やや簡単に感じるぐらいが、やる気も持続する。やっぱり、分かるところから始めるしかない。

 

 テレビドラマの『ドラゴン桜』で、東大を目指す受験生たちが小学校5年の算数のドリルで分数の計算からやり直すシーンがあったことを覚えている。最終的な目標が、どれだけ高くても、出来るところから一つずつ積み上げるしかないことをよく示していると思う。早く目標に達したいと焦っていると、難しいことを今すぐに始めないといけないという気持ちになる。けれども、急がば回れというように、着実に進めるしかないのだろう。

 

 簡単なことから始めるのは、恥ずかしいし、プライドが邪魔する部分もあるものの、難しいものに手を出して、挫折し、何も為せない方がよっぽど恥ずかしいと思うことにしている。この心構えを忘れず、千里の道も一歩から進めていきたい。