MY MINORITY

不器用ですが暇つぶしになれば。ちょっと情緒不安定な東大生

東大ブランドに縋りたくない

 このブログは匿名でやっている。が、東大在学中というのはブログタイトルの下部に表示しているし、何度も記事中で述べてきた。そのことを嫌に思う人がいるかもしれないので、弁解しておきたい。


 そもそも私は、大学名をブランドのように使っている連中が嫌いだ。たかが試験で一度パスしたぐらいで自慢するのも気に入らないし、目の前の相手が東大卒と分かった瞬間、卑屈になる人も不快だ。人間はどこまでも平等だと思うし、受験なんて一つの便宜的な物差しでしかない。東大に入ったからといって、ハッピーになれるわけでもない。なので、東大という名を使って、ブログに権威付けをしようという意思は一切ない。


 では、なぜ東大ブランドを使っているかのような行為をしているかというと、2つの理由がある。1つ目は、自分自身の大切なアイデンティティーを構成しているから。2つ目は、昔の自分が東大を身近に感じたかったからだ。


 アイデンティティーを構成しているというのは、東大に在学していることを誇りに思っているということではない。過去の記事で述べているように、私はもともと頭が悪く、運動も芸術もセンスがなく、先生や親から怒られてばかりだった。自己肯定感もなく、将来もろくでもないだろうから、死んでしまおうかと思っていた。周りから馬鹿にされても、言い返せず、惨めだった自分の悔しさは今でも思い出せる。そんな時に出会った『偏差値29からの東大合格』という本や自己啓発本を知り、勉強するようになり、いつしか東大を目指すようになった。死ぬほど悔しかったからこそ、勉強に昇華して、東大合格というどんでん返しを起こして、見返したいというその一心だった。だから、東大に合格できたことは、もちろんうれしいことではあるが、それ以上に自分の生きる価値を認識し、これまでずっと馬鹿にしてきた人々への報復でもあった。入学後も、見下される度に、絶対見返してやると決意し、必死に生きてきた。見返したいというのが、私の原動力であり、東大というのは、それが結実した一つの形である。この経験を抜きにしては、何も語れない。そういうわけで、東大と銘打ってある。

 2つ目の理由に移る。当時の私にとって、東大生はテレビの向こうの存在であり、身近な存在ではなかった。もし、劣等生だったが東大に合格した人の話を聞けたら、大いに勇気づけられたことだろう。学校に難関大合格者がいないわけではなかったが、合格体験記を読むと、担任の先生に東大や京大の受験を勧められたという記述があり、彼らはもともと才能があり、自分とは縁遠い人だと感じた。ましてや、精神に問題がある人の大学受験に関する情報は皆無だった。もし、当時の私のような人がいるなら、役に立ったらいいなと思う。


 それでも、大学名を明かすことには、躊躇いがあった。やましいことは一つもないが、特定されるきっかけになりうるし、自意識過剰のように感じられて不快に思う人も少なくないだろうからだ。また、一昨日の記事にもあったように、学生ブロガーというのを「痛い」と思っていたので、学生であることを表明する点でも気が進まなかった。


 このアンビバレントな気持ちに揺れるものの、やっぱり大学名を公表して発信することに意味があると思い、こうして現在の形になっている。社会で活躍している東大卒の人やテレビに出ている東大生みたいな、華やかな話は出来ないけれど、等身大の自分を表現していきたい。大学名だけに縋る無個性な存在にはなりたくない。東大生は1万人以上いるけれど、私は一人しかいない。だから、私は私が感じたことをありのままに書いていく。