MY MINORITY

不器用ですが暇つぶしになれば。双極性障害で東大在学中です。

嫌われる勇気が持てなくても

 悪口を言われたことを思い出した。人と関わる限り、よく言われることもあれば、悪く言われることもある。仕方のないことだ。それでも、思い出すだけで腸が煮えくりかえりそうになる。

 

 誰にも嫌われたくないというのは、きっと私だけでなく多くの人が願うところだろう。けれども、考えてもみれば、それは不可能に近い。ちょっとしたきっかけで失望されたり、理由もなく嫌われることなど日常茶飯事だ。見た目や態度が気に入らない、考え方が合わないということから、羨望や嫉妬といった直接的に迷惑をかけていなくとも、敵視される可能性がある。

 

 私はよく自分の意見を素直に言ってしまうことで、他人を傷つける。言い方には気を付けているつもりだが、それでも生意気だと思われる。では黙って我慢していればいいのだろうか。そうすれば、その場は何もなくやり過ごせるが、自分だけが不満を抱いたまま、過ごすことになる。理不尽な要求には、相手に嫌われてでもNOという必要がある。

 

 もし、私が誰にも悪口をいわれないようにしようと思えば、全員の全ての期待に応える必要があるが、どこかで矛盾が生じるし、そんなことをしていて、心身がもつわけがない。悪口を言われないようにしようと思えば、何も言えないし何も出来ないが、なにもしていなければ、批判されうる。だから、進んで嫌われようとまでは思わないが、嫌われても仕方がないと思う。

 

 では、なぜ嫌われることが恐ろしいかというと、全員と仲良くするよう要求されてきたからではないだろうか。みんなと仲良くするのは当たり前であり、学校でも社会でも嫌われることを是としているところは皆無だろう。だからこそ、だれもが嫌われたくなくて『嫌われる勇気』という本がベストセラーになっているのだと思う。

 

 この本を読んでみたが、嫌われる勇気をすぐに持てたかというと、そうではない。やっぱり嫌われるのは怖い。しかし、嫌われ続けて、その度に傷つき、時には涙するうちに、もうどうでもいいやと諦めに近い感情が湧いてきた。私のことを悪く言う人は、私の幸せを心から願ってくれているのだろうか。むしろ、私に幸せになってほしくなくて、足を引っ張っているようにさえ思える。それなら、そんな人たちのことなんて放っておいて、私を応援してくれる人たち、そして何より私自身のために、信じることをやろうと思う。

 

 これは勇気といえるほどかっこいいものではない。ただのあきらめであり、逃げだ。なら、徹底的に逃げてやる。私にとって居心地のよいところまで逃げて、殻にこもり、やりたいことをやり、言いたいことを言う。それを誰が批判できようか。悪口を言いたい人は勝手にいえばいい。私は気に留めない。ただそれだけだ。これが、嫌われる勇気を持てない私の出した答えだ。