MY MINORITY

不器用ですが暇つぶしになれば。ちょっと情緒不安定な東大生

超訳 "Let it go"

 "Let it go"の訳が「ありのままで」ではニュアンスが違うらしい、ということを英語の教師から聞いた。調べてみると、「なるようになれ」とか「何も手を加えず放置する」などと訳されている。ありのままでいるという肯定的なメッセージは、多くの人に希望を与えたが、後者であれば、制御不可能なものをなすがままに放置するような投げやりな印象を受ける。でも、ありのままでいることは綺麗ごとに過ぎない感じもする。

 

 生死を問う極限状態に置かれれば、ありのままで、生きているだけでいいという気持ちにはなれそうだ。でも、勉強も仕事もせず、ひたすら気のおもむくまま過ごしていたとしたら、ありのままでいいとは言われないだろう。極論すれば、犯罪者だったらどうか。もしかすると、社会には寛容な人もいるかもしれないが、私の周りにはそういう人は思い浮かばない。勉強も仕事も出来るに越したことはない。そうはいっても、人は簡単に変わることができない。だから、変わったほうがいいけど変われないなら、ありのままでいてもよいと、諦めまじりに受容することが「ありのままで」の意味する所かもしれない。この定義の「ありのままで」をいったいどれだけの人が実践できるだろう。厭世的な生き方をしない限り、常に評価はつきまとう。進んで低評価に甘んじることには勇気がいる。こういうわけで、「ありのままで」という言葉は素敵な反面、その通りに生きることを受け入れてもらうのは難しいと思ってしまうのだ。

 

 だけれど、他人の求める人物像を目指し続けるのも疲れてしまう。理想とのギャップは、適度なモチベーションになる一方で、乖離すればするほど自分を追い詰めることになる。そもそも、他人からの評価を得ることが自分の幸せと同一とは限らない。それでも、本当の自分を出せば、評価を失うかもしれないし、嫌われるかもしれない。ありのままでいることは大きなリスクも伴う。抗いがたい恐怖と、ありのままでいたい感情が衝突し、その葛藤が限界に達した時、湧き上がってくるのがもう一つの"Let it go"の意味である「なるようになれ」ではないだろうかと思う。他人の存在や評価は気にならないことはないが、もはや自分にはどうしようもなく、内面からあふれる衝動があふれるままにしておくということだ。このように開き直れたのは、休学中のことだ。当時、人に少しでも嫌われることが怖くて、自分の意見を押し殺して過ごしていたが、心身に不調を来たしてしまっていた。さらには、自分の落ち度でたくさんの人に迷惑をかけてしまった。何をしていても嫌われることはあるし、これ以上こんな生活を続けられないと感じたとき、もうどうにでもなれと心から思えた。内面からあふれてくる思考も感情も負の力も、すべて流れていくがままにした。「なるようになれ」とやけになった時こそ、「ありのままで」生きる道が開けた。この瞬間、確かに"Let it go"の意味を知ったのだ。

 

 今では、"Let it go"の精神も少し色あせてしまっている。性懲りもなく全員に好かれたいと願い、失望されたらどうしようという思いに従属させられそうだ。ブログだって本心を表現するために始めたのに、こんなことを書いて嫌われたらどうしようと思ってしまう。でも、私は人に合わせることが苦手で疲れてしまうので、美化することは出来ない。一方で、よく思われたい気持ちもある。両者に板挟みとなり、本当にどうしようもなく、考えても考えても仕方のないことだ。だったら、いっそどうにでもなれという心持ちで、心のおもくままに生きることを選ぼうと思う。全てはなすがままに。そう思えるうちは、それでいいのかもしれない。