MY MINORITY

不器用ですが暇つぶしになれば。双極性障害で東大在学中です。

雪どけ水は移り行く

 屈強そうな男性も凍てついた路面で滑ってしまうと思うと、ちょっと滑稽でおかしい。昨日だけで、その数倍は醜態を晒した私が言えることではないけれども。そういうわけで、たくさんの雪が降った。首都に降り積もる雪は新鮮で、久しぶりに車窓の外を眺めた。キャンパスの其処此処にも、雪だるまが鎮座している。相変わらずの寒さだが、少しずつ雪はとけていき、日常が戻りつつある。真っ白だった道路も黒が優勢になってきた。雪解け水も数日が経てば、全て蒸発することだろう。人々も普段通りの生活を送り、雪の記憶は過去のものとなり、しばらくは思い出されなくなる。雪が降った痕跡はなくなり、誰もそのことを気に留めなくなる。そして、冬も必ず終わりを告げ、新たな季節が巡ってくる。これだけ話題に上ったのに、統計以外には何も残らない。そんなことに文句を言っても、それこそ何も生み出さないので、とりあえずは受け入れてみる。


 何も消えない世界だったら、記憶と物であふれかえっているに違いない。たくさんのことが消えていくからこそ、新たなものが創造され、時間が進む。人間もこの摂理からは逃れることはできない。この世からいなくなった後も、覚えていてくれる人がいても、その人たちもいなくなる日は必ずやってくる。業績やモノを残したとしても、永遠に継承される保証はない。究極的には、数十億年経てば、地球は太陽に飲み込まれてしまう。そうなれば、人類が紡いだ歴史すら無に帰する。


 毎日、こういうことを考えるわけではない。けれど、全ては移り行き、いずれなくなるのだという思いが脳裏をかすめて離さなくなる時がある。今を懸命に生きるのは未来のため、だとしたら未来は何のためにあるのか。築き上げた実績や評判も、失われないとは限らない。そして、未来のために頑張り続けた先には、死が待ち受けている。何かを残せたとしても、いずれは失われる運命にある。永遠に持続するものは一つもない。突き詰めて考えればそうではないか。


 ならば、そうやって悲観するのも一手だが、いっそ別の考え方をしてみたい。それは、「今、ここ」のために生きることだ。結局、どんなものも無くなってしまうのなら、現在進行形で失われていく今を楽しむ。未来は未来であって予測は立てるが、そのために今を犠牲にすることはしない。全てが失われるからこそ、失われていくものに執着せず、「今、ここ」を楽しむ刹那的な生き方があってもいいんじゃないか。そして、この場所、この瞬間で起こっていることの連続の延長線上に未来があるのだから、きっと未来のためにもなっているはずだ。私のもとに全ての人や物を留めておくことは出来ず、離れていくことは止められない。最後には何も残らないかもしれない。それでも、そのことを受け入れた上で、今を生きようと思った。


 そんなことを考えながら歩いていると、屋根から落ちてきた雪が直撃した。頭を冷やして考え直せという天の啓示か。