MY MINORITY

不器用ですが暇つぶしになれば。ちょっと情緒不安定な東大生

ネガティブを観察する

 毎日、ポジティブに生きられたら。不安や心配、妬みや恨みから無縁の生活。そこまでいかなくとも、常に上昇志向で失敗に囚われない生き方はかっこいい。ネガティブなことばかり考えていると、ネガティブな性格になり、不幸を引き寄せている気もする。こういうわけで、ポジティブに生きようと努力してみたことがある。


 不安が浮かんできたら、必死にかき消す。物事の肯定的な側面のみに注目する。ポジティブな生き方を指南する本を読みながら、書かれている通り、思考からネガティブを追い出した。しかし、追い出したそばからネガティブが次々と現れ、逆にポジティブを追いやってしまうのだ。被害妄想も普段の調子を取り戻し、ストレスがたまる一方で、そのストレスを感じている自分も否定すべきものとして、気づけば強迫観念が脳内を満たしていた。


 ポジティブに生きることを願っていたのに、そこにいたのは、ポジティブに生きなければならないという強迫観念に支配されたネガティブな自分だった。引き寄せの法則というのが存在するなら、不幸に浸ることは不幸を呼び込むだけだが、もはやどうすればポジティブになれるのか、まったく分からなかった。


 そこで、ネガティブを敵として無理やり抑え込むのではなく、観察してみることにした。外から思考を眺めるような感覚で、「人に会いたくない」「明日が憂鬱」「誰にも理解してもらえない」といった心に浮かぶ事象を観察する。そこに、価値判断は存在しない。川の流れをみつめるように、ただそこにあるものとして眺めるだけだ。気持ちがあふれてきたら、自分の思考がネガティブになっていることを自覚しつつ、思う存分不幸に浸る。ポジティブな思考にも同じように接する。思考が浮かぶにまかせる。


 すると、ネガティブもポジティブもそれ自体は単なる思考に過ぎず、それがいいとか、悪いとか価値判断を加えているのは人間なのだということに気づいた。全ては自分の中で作り出された感情に過ぎず、外部の刺激はきっかけになれど、感情自体が与えられるわけではない。楽しい、うれしい、辛い、かなしいといった気持ちは自分が生み出したものなのだ。どんな強い気持ちも、24時間365日、同じ強さで持続することはない。全ては変わりゆく。これが思考を観察したことで得られた結論だ。


 また、物事の解釈は多様であり、一概に善悪を決めつけられないこともわかった。例えば、劣等感は本人のみならず、時に嫉妬という形で他人を傷つけるという意味では悪かもしれない。一方で、劣等感が人を成長させ、他人の役に立つことを成し遂げることに資する可能性もある。ネガティブなことの中にもポジティブな要素はあり、ポジティブなことの中にもネガティブな要素があるのだ。

 万人に適用できるとは思わないが、選択肢の一つとして観察を心にとめてもらえればと思う。

 

この記事は、ヘッセの『シッダールタ』を私なりに解釈して感じたことを書きました。文学作品としても楽しめるので、お気に召せば図書館で借りてみてくださいね。

 

シッダールタ (新潮文庫)

シッダールタ (新潮文庫)