MY MINORITY

不器用ですが暇つぶしになれば。ちょっと情緒不安定な東大生

体育嫌いを克服しなかった結果

 この世界は嫌いなものにあふれている。この経験が役に立つとしたら、ブログのネタには困らないことぐらいだ。今日は、体育嫌いについて書く。小中高大と体育を経験したが、一度も楽しいと思うことなく終わってしまった。もう二度と体育を学校で教わることはなく、ついぞ好きになれなかったのが心残りである。

 

 もともと、体を動かすのが好きではなかった。外で遊ぶぐらいなら教室で本を読んでいたい、そんなクラスに一人はいるような小学生だった。体格が小さかった上に、運動のセンスも壊滅的だったので、自分が下位になるゲームにわざわざ参加したいとは思えなかったのだろう。走らせては最下位になるし、接触を伴うスポーツは当然痛みを感じるし、汗をかくのも不衛生だ。跳び箱も要領がつかめず、ほとんど飛べなかった。走り高飛びは、用意されていた最低の高さの棒を飛び越えることが出来ず成績をつけられないので、私だけゴムで作られたラインを越えることで対処してもらった。ドッチボールやバレーボールはボールが怖いし、当てられると痛いので、逃げ惑うばかりだった。

 

 それだけなら、まだよかったかもしれない。数学も不得意だったから、苦手教科が一つ増えるぐらいでなんてことはない。体育の難しいところは、他の人がみている前でやらされたり、チームプレイであったりすることだ。私がいると、チームの足をひっぱってしまう。存在意義はなく、迷惑をかけるだけだった。実際、私の入ったチームはよく負けていた。体育の時間中はクラスメイトも興奮していて、失敗するとすぐに怒られるし、時には手を出されることもあった。また、体の動きをうまくコントロールできないせいか、他人からみると滑稽にみえるらしく、嘲笑されることも多かった。痛いし、怖いし、恥ずかしいし、なぜ自分だけが上手くやれないのだろう、みんなにどう思われているのだろう、馬鹿にされているよな、思えばいつもそうだった、というように、体育の時間中、過去の記憶が蘇ってきて辛い気持ちになり、ぼーっとしているので、やはりまた怒られるという散々な始末だった。

 

 そんな私だったが、高校に入って適応する道を一つ見つけた。それは、授業を休むということだ。体調が悪いときは、無理せず休むようになった。でも、それだけでは限られた回数しか休めないので、体操服を忘れたという口実をよく使った。無意識に嫌がっているのか本当に忘れてしまうことが多かったが、通学中に気づいても取りに帰らないことにした。家を出た瞬間に忘れたことに気が付いても、そのまま学校に行く。教師に休むことを告げる瞬間は、確かに申し訳ない気持ちを表現しないといけない。でも、一瞬さえ我慢すれば1コマ休むことが出来るのだ。休みまくると成績は下がるが、頑張って出席していたときから低い点数をつけられていたので、心配するほどのことでもなかった。

 

 東大に来れば、勉強が得意な分運動は苦手な人が多いのかなと思っていたけど、期待は外れた。私の運動神経は相当低いらしく、ここでも最下位レベルだった。必修なので仕方なく、前期は卓球を選択した。個人戦なら周りの人に迷惑をかけなくてすむし、体をあまり動かさないイメージがあったからだ。温泉上がりに気楽できるようなスポーツという先入観もあった。これなら自分でもできるのではないか、そんあ淡い期待を抱いて、タ級場に向かった。でも、これが意外に難しかったのだ。ボールをラケットにあてることがこんなに難しいとは思わず、その上あてたボールが相手の陣地内に落とす技術が求められた。しかも、練習は班単位で、指導は同じ班の人同士で行っていたため、卓球経験者の人には何回も同じ説明を繰り返させることになり、私より少し上手なだけの人に上から目線でアドバイスを受けることも情けなく、不甲斐ない自分に腹が立った。あまりに下手なので、教員と1対1の特別な練習をした。頑張ろうとする意志が評価されたのか、成績は良かったが、毎週、体育館に向かう足取りが重かったことは鮮明に覚えている。

 

 後期は、時間割の関係で種目が一つしか選べなかったので、陸上を自動的に履修することになった。家から駅まで歩くだけで疲れるのに、陸上なんて出来るわけがないと思いながら、しぶしぶグラウンドに向かった。だが、救いはあった。まず、陸上と銘打っておきながら、やることはグラウンドを周回するだけだったこと。ハードル走や砲丸投げのような技術は要らないのだ。しかも、リレーのように集団競技ではない。さらに、自分のペースでやればいいとも言ってくれた。走るといっても、一コマずっと走り続けることは出来ないから、歩いてもいいということだった。適宜、水分補給や休憩もしていいといわれたので、ずっと歩き続けて、疲れたら休むということを繰り返した。すると、意外に歩けることに気が付いた。最初は1コマ4km程度だったが、走ることにも挑戦して、最終的には最高で15kmに達した。頑張って走った日は疲れたが、教員に頑張ったなと褒められて嬉しかった。体育で褒められたのは、これが初めてだったかもしれない。

 

 今もスポーツは全くしていない。が、散歩が日課に加わった。都会の街並みをながめながら散歩するとわくわくするし、考えていたことが整理されて、頭の中がすっきりする。歩数計のアプリをスマートフォンにいれて、一日どれぐらい歩いたか可視化すると、頑張りが目にみえてうれしい。体育嫌いは運動嫌いになり、克服できていないけれど、歩くことは続けたい。嫌いなことは嫌いなままにしておく。そうすれば、いつか他の運動も、何かの巡り合わせで、好きになるかもしれないから。