MY MINORITY

不器用ですが暇つぶしになれば。双極性障害で東大在学中です。

あいさつが苦手

 「おはようございます」その一言が重い。子どもの時から、あいさつが苦手だった。家族にも同級生にも先生にも自発的には挨拶しなかった。朝は地獄だ。起きたばかりで眠くてたまらないし、代り映えのしない辛いだけの一日が始まるという絶望的な朝に、大声でおはようと能天気に言われると憎悪が湧き上がってくる。朝というだけで不機嫌なのだから静かにしてほしい。

 

 あいさつが出来ないことは、この社会において間違いなく不利だ。あいさつをしなければ、社会不適合者扱いだ。小学校では、“あいさつ運動”なる恐ろしく全体主義的な統制が展開されていた。朝早くから校門に立ち、続々とやってくる生徒達にひたすらあいさつをするというものである。やりたいか否かに関わらず、強制参加だ。狂気だったとしか思えない。

 

 仮に、あいさつは嫌でもすることにしよう。それでも、今でも納得していないのは、先生から「あいさつをすると気分がいいよ」と言われたことだ。「おはようございます」と無理やり言わされることのどこに気持ちよさを感じられるというのか。あいにくマゾヒストではないので、気持ちいいとは感じられなかった。逆らう度胸もない小心者なので、小学生の時は従っていたが、内面まで決めつけるのはやりすぎだと思う。何に快感を覚えるかまで上位者が決めるなんて、それこそ全体主義めいて聞こえる。

 

 それから、もう10年以上経つ。さすがに目上の人にはあいさつするようになったし、昔ほどあいさつするのが苦手なわけでもない。あいさつ嫌いは克服されたのかもしれない。でも、自分からあいさつしたがらないことと、声が小さいのは相変わらずだ。特に朝のあいさつは本当に苦手だ。それでも、今いるところは体育会系ではないので、あいさつだけを理由に怒られたことはない。誰も挨拶しない学校や会社は、不気味だろうか。見てみたい気もする。

 

 あいさつに関する自分の欠点も開き直っていて、矯正すべきだとは思っていない。誰かに怒られたら、気にしようかなぐらいの心持ちだ。あいさつはあまりしない代わりに、「ありがとう」と「ごめんなさい」をきちんといえると自負しているので見逃してほしい。あいさつが出来ないなんて、ろくでもない大人だが、運よく今日も生きられている。あいさつが苦手でも大人になれると知っていたら、小学生の自分ももう少し楽に生きられたのだろうか。

 

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