MY MINORITY

不器用ですが暇つぶしになれば。ちょっと情緒不安定な東大生

適応障害で休学 甘えといわれたくなかった

 休学するにあたって、精神科で適応障害の診断書をもらった。病気の診断書さえあれば、なんでもよかったのだが、自分の苦しみに公的な権威によって名前が付けられたようで、安堵した。でも、適応障害という聞きなれない診断が下されたことは意外だった。病院から自宅へと帰る道すがら、適応障害という言葉をスマホに打ち込んだ。


 調べた結果、簡単にいえば、環境に適応できないことが生活に影響を及ぼすほどの苦痛が生じている状態を指すらしいということがわかった。進学をきっかけに、抑うつ気分が悪化して日常生活が破綻寸前に陥っていたので、その点は間違っていないと思った。しかし、生きる意味を見出せないことや希死念慮は、大学のことを考えていなくても生じていたので、苦しみが過小評価されたように思えて不満だった。


 一番ショックなのは、適応障害で検索すると「適応障害 甘え」とサジェストされることだった。少なくない人が適応障害を甘えだと思っているから、そんな候補語がサジェストされるのだろう。検索してみると、甘えではないと説明するサイトが多数だったものの、否定的な言葉が並ぶサイトもあり、自分の辛い気持ちは他人からみれば甘えでしかないのかと打ちひしがれた。


 もし、うつ病と診断されていたら、意味づけは変わっていたかもしれない。適応障害に比べてよく知られているし、自身の苦しみを正当化するためにはぴったりだ。それでも、父親はうつ病の存在を信じていないから家族からは攻撃されたかもしれないな。


 休学したことは遠い昔の話になりつつあるが、結局、適応障害が甘えだとかあなたは怠けているだけだと言われたことはなかった。高校時代の友人たちは、みな一様に心配してくれたし、薄情で冷酷だと思っていた大学の知人も安否を気遣ってくれていた。今思えば、甘えや怠けだと言われることを執拗に恐れていたのは、努力さえすれば事態を打開できるのに、それが出来ない自分は弱いと自分自身で思い込んでいたからだ。自分の苦しみを自分で引き受けず、徹底的に否定していたからこそ、他人から苦しみを認めてもらえるかどうか過剰に気にしていたのだと思う。


 適応障害だろうとうつ病だろうと医学的な診断名がついていなくても、自分が感じている苦しみは苦しみには違いないのだから、それを表現したり、苦しみを軽減させたりすることを認められるようになれればいいのにと思う。そのためには、個人の気持ちの持ちようだけではなくて、他人の苦しみを素直に認められるような社会になる必要があるだろう。だからといって、私にできることは多くないのだが、せめてこの記事で逃げ道を作れたらいいなと願う。