MY MINORITY

不器用ですが暇つぶしになれば。双極性障害で東大在学中です。

他人の評価が気になる

 他人にどう思われているかが気になって仕方がない。このブログは、自分の考えていることを発信しようと思ったことがきっかけで始めた。閲覧数を増やしたり、収益を得たりすることは主目的ではないので、自分らしく書き続けられればよいと思っていた。けれども、せっかく時間を投じて書いている以上、肯定的なレスポンスも欲しいし、より多くの人に見られたいという気持ちも強くなってきた。閲覧数を増やすには、多くの記事を投稿するのがよいというインターネット上のアドバイスに従い、毎日少しでも記事を追加するようにしているが、アクセスが増えている実感はない。

 

 確かにブログを始めてよいこともあった。たった2週間の間に、様々な地域からアクセスがあり、外国にいる友人がサイトを見てくれた。鬱屈とした気持ち、やり場のない怒りを文章にすることでカタルシス効果も得られた。無為に過ごしていた時間も文章を書く時間に変わった。スキルはあまり伸びていないが、どういった文章が読者にとって読みやすいかを考えるようにもなった。それでも、何か足りない気がする。

 

 私は、このブログをどうしたいのだろう。複数の読者がいて、私の文章や感性を好いてくれていて、たまに肯定的なコメントをくれるのなら、やる気が出るだろう。一緒に少数派や社会通念の問題を考える場になればよいとも思う。ここで大事なのは、私という人間がそのままの形で好かれることである。だから、よく読まれるように、自分の性格に反する記事は書きたくないし、書くつもりもない。「一流の人が実践している○○」「○○する方法7選」のような記事を書けば、検索エンジンにはひっかかりやすいだろうが、それはポリシーに反する。また、名門とよばれる大学に通っているので、勉強法を書けば一般受けはよいかもしれない。けれど、たった1回の試験の結果であり、運が多分に関係していることを無視して、年下相手にいきがるようで、気が進まない。そういう記事は禁じ手だと思っているが、そこまでしても読まれなかったとしたら、本当に救いようがないように感じる。

 

 もともと、週1回ぐらいのペースで誰にもみせない文章を書いていたので、今さら他人の評価を気にする必要なんてどこにもないのかもしれない。それでも、どうしてこんなに気になって仕方がないのだろう。私はどうしようもないナルシストなので、自分の文章が好きだ。だから、公開すれば必ず反響があると思っていた。今でもその気持ちは捨てていない。著名なサイトの読者投稿にも応募し、多くの人の目に一度でも触れられれば、固定のファンは獲得できると信じている。チャンスがあれば、しっかり結果を残し、実力を証明したい。それは、自分のことが好きでも、本当はたいしたことないんじゃないかという不安の裏返しだ。アクセス数は残酷な真実を告げているように思える。一方で、まだ2週間しか経っていないという言い訳もある。他人の評価に怯えながら、今日も文章を綴る。