MY MINORITY

不器用ですが暇つぶしになれば。ちょっと情緒不安定な東大生

熊木杏里『誕生日』の私的解釈 ~生きているだけでいい~

 「生きているだけで丸儲け」とはよく聞く。だけど、本当に生きているだけで肯定してもらえることは少ない。実績を残したり、他人の利益になることを行ったりすれば褒められることもあるが、ただ生きているというだけでは生活も出来ないし、生きていて当たり前の社会では、ことさらに褒められることもない。だけれども、誰であっても生きることは簡単ではなく、少なくとも今日までたどり着いたことは称賛に価するのではないかと思っている。そんな中で熊木杏里の『誕生日』という曲を改めて聞きなおしてみた。ややもすれば凡庸にさえ思える素朴な詩ながら、選ばれた言葉の一つひとつに意味がこめられ、生きることへの力強い意思を感じた。今日は、普段と趣向を変え、この曲の歌詞をみながら、私なりの解釈を綴っていく。

 

楽曲と歌詞は以下のリンクから。

www.youtube.com

http://j-lyric.net/artist/a0044cc/l00f8e5.html

 

 『誕生日』は「誕生日のことは覚えていますか」という問いかけから始まる。そして、「あなたのことをお祝いしましょう あなたである今日と明日のために」と祝いの言葉が続けられる。お祝いの理由は「あなたである今日と明日のため」とされ、あなたがあなたでいることそれ自体が祝うべきことして捉えられている。さらに、今日だけではなく明日が含められていることに注目したい。お祝いが、誕生日というハレの日に限定されることなく、次の誕生日までの364日にも捧げられることを表しているのではないだろうか。さらに、字面だけを見れば、今日が誕生日であるとは明示されていないので、曲を聞いている現在とこれから続く未来を祝福するとも解釈できる。

 

 続いては「生きてきたようで 生かされてる そんな私であって あなたである」と歌われる。生かされているという実感を持つかどうかは人によりけりだと思うものの、自然や他の人間が全く存在しなければ、確かに生きるのは難しいだろう。そう意味では、生かされていると言える。だが、そうした認識は、周囲への感謝や命を大切にしようといった美辞麗句に結び付けられ、あるべき心のあり方を規定する可能性もある。このまま、詩が展開されれば、少数派の感性を持つものにとっては、受け入れがたいものになるだろう。ここで作詞者の熊木は「そんな私であって」と述べ、私という視点を登場させる。その直後で「あなたである」と言っている以上、押し付け的な側面があることは否めない。しかし、これは私の考えであるというメッセージを挟むことによって、万人が受け入れるべき真理を語っているのではなく、あくまで私的な考えであるという点が強調されている。また、生かされているのは私とあなたの両方とすることで、両者の対等な地位を表すことにも一役買っている。この曲全体の主語が私であり、詩は私からあなたへのメッセージであると解釈して、論を進めることにしたい。

 

 「おめでとう 今日まで辿りついたんだよ つらいことの方がよくあるけれど ありがとう 理由は何もないんだよ あなたという人がいることでいいんだよ」というのがサビだ。この連では、「あなた」がこれまで生きてきた過程と存在を無条件に肯定し、お祝いの言葉が述べられている。「つらいことの方がよくある」というのは、人生とはつらいものであるという主張への支持を求めているわけではないだろう。なぜなら、曲全体の主語が私であるからだ。このことを鑑みれば、私の人生にとってつらいことが楽しいことよりも多いにもかかわらず、あなたが生きていることに感謝したいという文脈になる。また、私の人生はつらいことの方が多いという相手への断定を避けたメッセージは、あなたの人生を完全に理解することは出来ないという前提に立ちながらも、相手がこれまで経験してきた困難に思いをはせるものでもある。その上で、理由などなく、生きているだけでよいと声をかけるのだから、苦しみもひっくるめて肯定するという強い意思が感じられる。こうした内面の規範化を避けながら、相手を思いやる気持ちがこの曲全体に通底しており、熊木の巧みな言語表現を思い知らされる。

 

 歌は「もらったものを覚えていますか? 形ないものもありました 特別ではないことが特別になって あなたを幸せにしたこともあったでしょう」と続く。サビで苦しみに触れた後は、幸せに目を向ける構成になっている。ここでも押し付けを巧妙に避けている。「もらったもの」に感謝することを求めておらず、「幸せにしたこともあった」というように今現在幸せであるかどうかを問わない呼びかけになっている。「もらったもの」が生命なのか愛情なのか金銭なのか、それらのどれでもない他の何かなのかは示されていない。これによって、「もらったもの」が何か考える自由が与えられている。失意のどん底にある人にとって、いつも不幸なことばかり起こり、この先もろくな未来が待っていないと感じられるかもしれないが、こうした思考の一般化に対抗する意味でも、幸福だったことやものを一つでもいいから探すという姿勢は、精神衛生上も重要であると思われる。

 

 曲の続きをみていく。「何もできない なんてことは 私にもないし あなたにもない」とあり、ここでも「私」から「あなた」という順になっている。また、何でも出来ると意気込むのではなく、何もできないことはないという二重否定の形をとっている。どれだけ自分の能力を悲観している人であっても、確かに一切何もできないということはないだろう。幸せにしたものや出来ることが一つ以上あるはずという暗黙の前提は、他の部分ではみられないほど断定的だ。なぜ押し付けを避けなかったのかといえば、この部分には譲れない主張があるからではないだろうか。不幸ばかりで何一つできることがないという思い込みは、自身の存在意義を否定し、最悪の場合自ら命を絶つことにも繋がりかねない発想だ。それは、この曲全体のメッセージに反する。だからこそ、これまで慎重に避けてきた押し付けのような言葉を使用してでも、存在意義を肯定しようと試みている。それでも、これはあくまで「私」の考えとして開陳されているので、もし幸せなことも出来ることも何一つなかったとしても、「あなた」は責められず、嘘をついた「私」の責任が問われることになる。それは、「私」が心の底から「あなた」の存在意義を認めていると言えるのではないだろうか。

 

 最後は、歌詞の一部分を変えたサビが2回繰り返される。「あなた」が「奇跡」や「暗闇に灯ってる火」であると褒めたたえ、「手のひら合わせられるのは あなたがこうしてここにいるからなんだよ」として、今ここに「あなた」がいることに感謝の言が述べられる。二人で手のひらを合わせるという行為は、今ここに「私」と「あなた」が存在さえしていれば可能なことだ。たとえ「あなた」が、頑張っていなくても、困難の中にあっても、手を合わせることは出来る。ここでも、「あなた」という存在それ自体に対する肯定の思いが表れている。ラストのサビは、最初のサビとほぼ同じだが「つらいことの方がよくあるけれど」が「思い出がまたひとつ増えました」に差し替えられている。思い出は、いい思い出とは限らないが、「あなた」がいなければ決して作られることはなかったという点で、これまで生きてきた「あなた」を肯定する意味があるのだろう。誕生日は、この世に生まれてきたという意味で奇跡であると共に、年を重ねても生き続けてきたからこそお祝いできるものである。『誕生日』は、「私」から「あなた」へのお祝いという形で、どんな生をも肯定する力強い生命賛歌なのだ。

 

おめでとう

今日まで辿りついたんだよ

思い出がまた一つ増えました

ありがとう

理由は何もないんだよ

あなたという人がいることでいいんだよ

                              熊木杏里『誕生日』