MY MINORITY

不器用ですが暇つぶしになれば。ちょっと情緒不安定な東大生

誰でもマイノリティ

 誰でもマイノリティである。少数派という語義からすれば矛盾を感じる表現でありながら、これほどまでにこの語の本質を表している言葉はない。マイノリティとは、障がい者性的少数者、外国人といった公認された少数派だけを指すのではない。標準から外れた属性を一つでも持つ人に開かれている。マイノリティとして語られることのない人々にもマイノリティを名乗る権利は与えられている。眼鏡をかけている、友だちが少ない、犯罪歴がある、所得が多い、といったことも属性であることに変わりはなく、マイノリティといっていい。また、名も付いていないような少数派もいるだろう。もしも、あらゆる属性で多数派に属する人がいるのならば、全ての属性において多数派であるという少数派に属することになるだろう。

 

また、ある属性ではマイノリティであったとしても、他の属性ではマジョリティということもある。障がい者であっても異性愛者であれば、性的指向という点では多数派だ。さらに、複数の属性においてマイノリティということもある。こう考えると、生粋のマジョリティも純度100%のマイノリティも存在しないように感じられる。マイノリティという言葉は少数者の権利と結び付けて語られ、マジョリティの暴力性や特権を告発するために使われることが多い。それは多数派中心の社会を変えるためには必要なことかもしれない。しかし、マジョリティは恵まれていて、マイノリティを支配しているという言説を無反省に浴びせることは、マジョリティの個性を矮小化し、それぞれの苦しみを語る言葉を奪うことにもなる。なによりも、他のマイノリティに対する視座を失うことになりうるのではないだろうか。注目する属性が変われば、少数派と多数派は簡単に入れ替わる。マジョリティとは、他の属性ではマイノリティである人々の集合体であり、構成員は多様な個性を持ち、その中には生きづらさや苦しみを持つ人もいることを忘れてはならないと思う。 

 

マイノリティという言葉は少数派という意味だけではなく、少数派であることによって生じる不利益を言語化する作用がある。一人ひとりの抱える問題や苦しみは同一ではない。しかし、ある属性を共通項として、その問題は少数派であることに起因するとすれば、個人の問題がそのマイノリティ全体の問題として共有され、社会に対する問題提起が可能になる。自身がマイノリティであるという宣言は、現状の社会に対する異議申し立てであると共に、自身の生を正当化する効果がある。 

 

これまでマジョリティと一員とされ、注目されてこなかったマイノリティは、自身のアイデンティティを語る言葉を奪われてきたといってもよい。名もない属性に名が付けられ、言語化されれば、自己理解を促進するだけでなく、他者との感覚の共有も可能になる。それだけではなく、自分の置かれている状況に意味付けをすることが出来る。つまり、これまで理不尽に降りかかってきた苦難が、マイノリティであるがゆえの苦難として表出することになる。苦難の原因を掌握し、問題の本質が白日の下に晒されることで、すぐには解決できないとしても、納得できるものとして受け入れやすくなるのではないだろうか。なぜなら、同じ問題を抱える仲間を可視化して、団結することを可能にするだけではなく、マジョリティや社会の側にある問題点も同時に明らかになるからである。 

 

 マイノリティという言葉を自由に使用することは、突飛な提案ではない。むしろ、本来の語義に従ったものでもある。歴史を振り返れば、同性に惹かれる者の生きづらさや差別される経験は、個人の問題とされてきた。同性に恋愛感情を持つ者が間違いであり、社会の方に問題があるとは考えられもしなかった。しかし、時代が進むと共に、同性愛や同性愛者という言葉が開発され、彼らの存在が認知されるようになった。そして様々なアプローチを通じて、同性愛者を矯正することは不可能であり、異性愛が前提の社会を変えるべきであると考えられるようになった。当時の感覚からすれば、性的逸脱者である同性愛者は、社会的に救済が必要なマイノリティとはみなされず、ただの犯罪者、異常者としての烙印を押されてきただけに違いない。この経験に学べば、「あなたはマイノリティではない」と強制することは誰にも出来ないだけではなく、むしろ「私はマイノリティである」という宣言こそが社会を動かす原動力になるようにも思える。

 

 多様性という言葉が注目される今、マイノリティの権利擁護も前進しつつあるのは間違いない。ただ、ここでいうマイノリティとは、社会から公認されているマイノリティでもある。社会は未だ、誰しもマイノリティであるという主張を受け入れられておらず、自身の性的嗜好や犯罪歴、もしくは通常、恵まれているとされる属性を少数派の属性として公言できるような状況にはない。そんな社会であるからこそ、マジョリティは顧みられることのないマイノリティに目を向け、声にならない叫びに耳を傾ける必要がある。そして、名もなき少数派には、自分自身をマイノリティと定義する自由があることを強調したい。誰しも、心の中では、悲劇のヒロインにも社会運動家にもなれる。マイノリティであるという宣言は、それだけでは社会に何ら影響を及ぼさない無力な存在かもしれない。けれども、それは人生の意味を与えてくれる武器でもある。この武器があれば、敵をなぎ倒せるし、仲間を集めれば、より強大な勢力に立ち向かうこともできる。だからこそ、私は誇りをもって「私はマイノリティである」と宣言する。