MY MINORITY

不器用ですが暇つぶしになれば。双極性障害で東大在学中です。

MYマイノリティ宣言

 マイノリティに配慮した社会を作ることは確かに重要だが、それだけではマイノリティの生きづらさは解消されないと思う。


 バリアフリーが進めば、障がい者にとって暮らしやすくなるが、健常者と同じ人生が歩めるわけではない。同性愛に対する差別がなくなったとしても、圧倒的多数の異性愛者にとって同性は恋愛対象にはならず、非対称な関係は続く。私自身トランス女性であり、性別適合手術への保険が適用されたり、戸籍上の性別の変更要件が緩和されたりすれば、生きやすくはなる。が、男性として生きた過去が消えるわけでもなければ、子どもが産めるようになるわけでもない。


 にもかかわらず、街に出れば、マイノリティが持たないものを当然のように享受している人々で溢れかえっている。マイノリティの属性は24時間365日ずっと付き纏って離れないのに対し、マジョリティは、よほど謙虚でなければ常に自身の特権を意識し続けることはしない。ましてや、立場を変わってくれるわけでもない。それどころか、物珍しそうに凝視してきたり、差別的な発言を浴びせたりすることもある。不平等以外の何ものでもない。こんな社会は生きるに値するのだろうか。自分が決して手に入れることの出来ない特権を見せられ続け、これからも苦難が続くのであれば、生きる意味はないように感じられる。


 かといって、すぐに死ねるほど世界は優しくない。人間の体は生命活動を維持するように作られているし、苦しみからの救済としての死は社会的に認められていない。なにより、生まれ持った属性で死ななければならないのなら、何のために生まれてきたのだろうと思う。誰に頼んだわけでもなく生まれさせられてきたこの命だが、生きることも死ぬことも苦しいのなら、生まれてこない方がよかったと嘆くしかないのか。苦しみながら、生まれたことを悔やみながら、死期を待つしかないのか。


 私はこうした考えが脳内を駆け巡るときは、吐きそうになるほどのアルコールを摂取して現実から逃れることにしている。ただ、医師から過度の飲酒を注意されているので、この方法も長く使うことはできない。どうすればよいのか考えた結果、マジョリティと違う価値観で生きるという結論に達した。


 振り返れば、つらいこともたくさんある代わりに、飛び上がるほどうれしい経験もしてきたし、性別を移行するという普通の人が体験できない体験をしているし、見過ごされがちな所に気が付き、自分にしか書けない文章を書いている。肯定的な側面が思い浮かばなければ、開き直りやこじつけでもいいと思う。死にたいのに生きているのなら、生きたくて生きている人よりも強靭な意思があると解釈できる。マジョリティ中心の社会を変えることは難しいけれど、心の中までマジョリティに支配される必要はどこにもない。目が見えることは見えないことよりも幸せだとマジョリティが定義したとしても、それを強制し、内面を検査して確かめることは出来ない。


 この世界は不条理なことも多いし、全てを肯定的に意味づけることは今の私には出来ない。けれど、私が私のことをどう思うかは自由だ。私の人生に誰も意味を与えてくれないなら、自分自身で意味を与える。私の人生の主導権は私にある。私は私のために生きる。他の誰でもない私のために。